樹木から動物

あまりに無垢な奔放な想像力、そうせざるをえなかったものへの感動が、どうやら歳を経るごとに強くなっていく気がする。反面そうでないもの、恣意的で意図的なネライにみちたものに敏感になって偏屈になってきているようだ。善良な仮面を被りながら背中で逆手に刃を握っているようなのはもうタクサン。できるだけ、喜ばしい事象だけと付合っていたくなってくる。

先日かってきた『中世動物譚』に、いたく気に入った話があった。
エボシガイの木と呼ばれている柔らかく樹液に富む樹脂、ここからガンが生まれる。それは、見た目にははじめゼリー状、次いで樹液によって育まれ、どんどん大きくなる。やがてそれらが完全な鳥の姿となり、木から下に広がる海へ落ち一人前のガンとなる。そして群れをなし羽ばたいて飛んでゆく。(ドレイトン『多幸の国』27-307)」

こういうのには、ほとんど涙腺がゆるくなる。なにがどうというのではないが、ただもう、木の実から鳥が生まれるという自然科学の「誤謬」が、陳腐な詩想をかんたんに超えてしまっている。

そういえば、「わくわくする」の語源でもある「ワクワクの木」というのはアラビア伝来の話であって、大きなその実からは、美しい少女が生まれ、やがて刻が満ちると木から落ち「ワクワク」という悲しげな声を挙げて死んでしまうという。