第3回 術の根本たる化学物質としての土星

 土星は卓異の星であり、本質、位階、品格に於いてあらゆる同朋を凌いでいる。彼は自然の長男、知る者わずかな金属種の根と位置づけられる。
 ゆえに『角笛の響き』にはこうある。染色の霊気は哲学者の水銀であり、その赤や白は鉱洞や地の臓腑のなかで硫黄とたやすく結びつくものであるため、無造作に調合しても術師の正否は完全なる結合のときまで保留されてしまう。これは太陽についてのベリニュスの譬喩にあるとおり土星と呼ばれる精気であり、平易に言えば、あらゆる金属種の身体なかんずく金を、真に根源的な死滅崩壊によって染色分離させるものである。これについての彼の言説は『薔薇園』に明言されている通りである。「識れ。わが父である太陽は、あらゆる力を超越する力をわれにあたえ、栄誉の長衣でわれを飾った。そして世界のすべてがわたしを求め、われのあとに従う。わたしは、他を凌ぐ者。何者よりもたかく、わが前に平伏さぬもの無し。ただひとりを除いて、わたしを克服しうる従者はいない。その者には、わたしに抗うものが与えられておるがゆえ、その者はわたしを破壊する。だがわたしは根本から損なわれるわけではない、土星はわたしの身体を分解するのみであり、そしてわたしは母に救いを求め、散り散りにされた四肢を集めてもらうのだ。」
 トレヴィザンもまた同様のことを主張し、他ならぬ活ける水銀が他ならぬ「紅き従僕」の身体より抽出されうると述べる。これがベリニュスの呼んだところの造反する従者である。「従者」というのはすなわち自然のしもべであるからで、それは自然の鉱物中にあって金属種の生成に仕える。またそれは化学の術に於いて、聖なる石を生成することにも仕える。それは「紅」とされるが、調合の最終段階に紅い塵へと変わるからである。太陽にも造反するものとされるのは、それが根源から太陽を融解させ原初の物質へと還すためである。だが紛うことなかれ、わが子よ。これらの事物は、金属あるいは鉱物としての水銀に属する土星のこととして理解されるべきことではないのである。それらは我らの鉛、いわば眼に見えぬ可能態のなかに秘められている、金属を産する太陽や月にかかわるものである。あらゆる秘奥は鉛に存する、とピュタゴラスは述べた。
 最後に、一語を加えてこの輝かしい章を締め括ろう。わたしは、いとも正統なる哲学者らがこれを太陽という星、月という実体(太陽と水星)に位置付けたことを、ただただ一貫して断言することで表明するのみである。健康と富についての問題は同一ものであって、この論考でもこれら共々が扱われるが、学徒や悟達者が公然とこの場に現れても、我らはとりわけ医薬の問題を論ずるであろう、それが我々の関心の中核をなすからである。土星が隆盛をきわめ、他のあらゆる惑星がそれに追従し、一方で太陽と月がその足下におかれるのを見るならば、それは土星それ自体がふたつの染色素を内に秘めていることの徴である。これは、多くの者が求められながらも、真実に至ることのできた者は僅かである。ゆえに小さな太陽の星が月の中に、小さな月の星が太陽の中にあらわれるのは不可解なことではない。なんとなれば太陽と月はただひとつの同じ根から発しているからである。巧みなる造物主が短い時間に垣間見せるように、のちに赤くなる小さな白い雫が、ゆたかな染色素の徴となる。山麓にて樹木が繁茂すること、これがちょうど、土星が山岳地にのみ至ることの徴として相応しい。