縄文土器

縄文土器[2004年11月21日(日)]
錬金術の格言に『陶工のわざは乾燥と湿気のもとに成りて、これぞ汝を導くものなり』というのがあって、「アタランテ遁走曲」では以下のエピグラムが付いている。

見よ 速やかなる旋盤の上
器へと 如何に陶工 かたちを成すか
轆轤を足にて回しては 水を含めて粘土をこねる
常なる頼りはふたつのものなり
その機敏さで 液体は乾いた物質を癒すがゆえ
賢き者よ これに倣って行うがよし
水は地を統べるものではないが 地には屈しもせぬものよ

水と地のドロドロ混成物質を火にくべてカリカリ軽やかにするという操作について、錬金術の立場から陶芸の術を評価したものだ。四大元素だの「地水風火」だの概念知識を言ってるだけじゃなく、こういう物質そのものに肉迫した、手にギュッと握れるような議論がうれしい。水を張った田圃に裸足で入って踏み締めるような、ドロの感覚!

今ちょっとこの内容の翻訳を見直し終わって、なにやらむずむずと陶芸を見たくなってきた。こういうのを直に感じているのはまさに陶芸・陶工のはず。現代のつるつるすべすべの磁器モノではない、無気味なまでに荒削りの縄文土器を、である。
随所の古代文明にはどこにでも魅力的な陶芸史があるものだが、縄文土器はちょっと別格という気がする。呪術的な感覚が強すぎて、あんまり見ていると頭が変になってきそうな(もうじゅうぶん変かもしれない)オーラが出ている。たぶんプリミティブすぎる何かが作用しているんだろう。専門家じゃないから、いちファンとして愛でている、そういう態度も縄文土器には許される気もする。

で、深夜にいまから上野へなんぞ走ってもしかたなし、ウェブ上にデータベースでもト思って検索していたら、まっ先にスゲエのが出てきた。もう縄文土器どころではない感じ。

http://www.um.u-tokyo.ac.jp/dm2k-umdb/contents.html
東京大学デジタルミュージアム』構想の試験的なサイトっぽい。
縄文土器の画像もすごいが、なんだかいろいろあるゾ…。

「アジア考古美術データベース」!これあすげえ。

…こんな風に夜をふかしてゆくのも錬金術的のような、そうでないような。