ピーター・ジャクソン『ロード・オブ・ザ・リング〜旅の仲間〜』2001 アメリカ/ニュージーランド 178分

ピーター・ジャクソンロード・オブ・ザ・リング二つの塔〜』2002 アメリカ/ニュージーランド 179分
ピーター・ジャクソンロード・オブ・ザ・リング王の帰還〜』2003 アメリカ/ニュージーランド 203分

はい、観ましたよ。ひとから聞いて長いのは知っていましたが、DVDで拡張版なんか出ているとなると、折角だからと、それぞれ余計に1時間ほども長いバージョンをわざわざ・・・どっと疲れました。

でも、未公開シーンとかがどこだったのか、あとからDVDの目次で調べてみると、え、そこがなきゃまずいんじゃないの、というような場面だったりするから、このカットなしの拡張版は、好きな人は観なくてはならないものかもしれない、ああ大変だ、なにしろ長いもんなあ。

いろいろ語りたいことの多い映画だけど、もうあちこちで言われ尽くしている感じだから、雑感だけ。

指輪物語』を読んだことがないってのは構わないだろうけれど、いかに大作で大々的に売り出された映画だとはいえ、これは紛れもないファンタジー映画だから、ファンタジー世界についての知識がないひとには、この長さとか美しいCG映像とかは、眠気を誘うことになって、かえってちょっとキツいんじゃないかなあ。試みに「ピンと来なかった」というひとに『指輪物語』について聞くと、ドラクエの元になったんですよね、とかその程度だったりすることが多い。いやもう、だからといって「ドラクエの元はむしろウルティマでね・・・」なんてオタク話を今更しても始まらない、そういうジェネレーション・ギャップも存在するかもしれないから、この映画、子供にみせるのも難渋するだろうな。

どうなのかね、そのへんは。

ちゃんと『指輪物語』を読んだ大人は、自分の子にこの映画はみせないだろうが、逆に、ちょっとマニアなひとは大いに楽しんだり、ぐっと踏み込んだ議論をしてたりするだろうな、どうもこりゃ子供がみる映画じゃない。

子供は『ホビットの冒険』を読むべし。
だって、しょうがない、トールキンが書いた(創造した)のは、現代的な、感情移入のしやすい、勧善懲悪式の、ストーリーではなくて、だから、いわゆる小説的な流れでも、それに適した文体でもなかった。『指輪物語』は、いわば神話や伝説の創作を目指した「叙事詩的なもの」だったから、これは「映画化」というよりは「映像化」というにふさわしい。

その緻密な設定のリアルな再現に重点が置かれたのはまあ頷けるが(その点で議論を呼んだ部分も数知れないようだが)、個人的なわがままを言わせてもらえれば、せっかくなら「映画化」をこそして欲しかったな、ということ。

沢山の予備知識が必要な、原作に忠実な再現なんてのは、いかに正確かどうか、イメージ通りなのか、そういう振り返りの既知(フィギュアとかコスプレとでも言った方がいいだろうか?)を追求するオタク映画にすぎないことになってしまうではないか。いかにCG映像の説得力があるとはいえ、この物語の全編を、地図もなしに楽しむことは難しいはず、さらでだに、地名やら登場人物やら、あふれるカタカナ固有名詞(ファンタジー専門用語も)をちゃんと理解するには世界史のヒトコマを勉強するくらいの知識量が要るはずだ。

映画ってのは、なにか古い題材からですらも、そこに現代的な問題提起とか、逃避に終わらない、明日への活力を与えられるものであって欲しい。で、そうしてこそ、多くのひとが語り合ったりできるものとして完成するんじゃないのかな。『指輪物語』は、それだけで、そういう普遍的なものも、多分に含んだ名作ではなかったか。

この映画は、いろいろな意味で、見る人を選ぶ。そういう映画が存在することを否定はしないけれども、ファンタジーに馴染んでいるかどうかが、ある断絶をつくるような映画では残念じゃないか。

でも、この映画を機会に『指輪物語』を読むひとは増えたみたいですね。みんながみんなH・ポッターに流れるよりは、ぜんぜんマシ。個人的にH・ポッターは、なんかこう、ちょっとちがうんだよな・・・。