ドナム・デイ 第2章

・・・つづき。

第二章 いかにして物体が哲学の活ける銀へそして水へと溶解されるか石の素材になるのは鈍重な水剤であり、あるいはそれは水を凍らせるほど冷たい。そうした石というものは他のいかなる場合よりも動物的(肉体ある)なところに生じるものが貴重であると考えるべきである。われらの鉱脈に産する緑で液状のデュネクなしに、いかなる類の石も調合することはできない。われらの石を求めて右へ左への連山を眺めてはあちらこちらと登り、あらゆる種類の霊気(スピリット)やら香気(アロマ)やらの神秘を擁する山に分け入る者もおり、これは確かに斯術に必要な石が見出される鉱脈を検分するに似てはいるが、石はそれ自体増殖する活きたものである。そしてそれは平地でも山地でも水中でも何処にも求められ、貧しきところにも肥沃なところにも無きところはない。いとも卑しきものでありながらやんごとなきものでもあり、血や肉を有して生長する。嗚呼それ識ることの何と尊きことかな。嗚呼万物を生じさす豊かなる緑色の神聖。嗚呼聖なる自然、汝の作業に神の慈悲あれ。なんとなれば汝は不完全よりはじめ完全と成すゆえ。汝この自然をば純粋、清浄、天然、明晰、ありうべき純然、それよりほかなにものにも変じてはならぬ。それを除きては何等の利益ももたらさない。



四元素の性質を探求しに往かむ。其のアンプティスーインペリクティスーアンシティスは大地の臓腑より生まれ出ずるもの。



ここに哲学の溶液は成り、それが我らの活ける水銀をつくる。