ドナム・ディ 第12章

第一二章 白さはルビーのごとき鮮やかなる赤に変えられ、これが赤化のエリクサである。
白きラトナを用いよ。汝が念挫かれることのなきよう、書物をば引き裂くべし。われらの術はたやすきものであり、かつ裨益なるものまことに少なきなり。余を白くする者は赤くもし得る、なんとなれば白と赤は由来おなじくして白に在るものは赤にも在る。それ故に理に適った仕儀にしたがい、白をしつらえてよりさる期限を過ごし其の終局に至れば汝は報われ、かくのごときが突如として現出すると、心胆寒からしめる畏怖のもとに賞賛さるべき驚異が目の当たりとなるであろう。汝の作業がいかに遅々として倦むものになろうとも、注ぎ磨り潰し反復せよ、それは長き煎出によってこそ成し遂げられるものである。識れ。石の花は《石》の石でありそれを数日間、大理石のような輝きが放たれるまで炙るべし、それが達成されれば、これこそ最も偉大なる秘奥なのである。石は石へと混合される、かくして親愛なる友たる汝は白化を識るに至った。
さて赤について言及すべきときがきた。だが汝まず白をば設えおらねば、其処にまことの赤は現れず、第一より第二を経ることなしに第三には誰も達し得ないのであり、其れは汝に於いても同様であり、黒より白を経ることなしに黄には至り得ない。というのも黄色は多くの白の混合体に少量の黒が加わることより成るものだからである。故に黒より白を成し、白より赤を成せ。一年は四部分より構成されるがゆえ、幸いなるわれらの術もまた同様である。第一の冬は冷たく湿り、第二の春は熱く湿り、隆盛極まる。第三の夏時は熱く渇き赤い。第四の秋は冷たく渇いた収穫のときである。かようなる配列は稔りの歓喜をもたらすべく自然の統治する色彩である。いまや冬は過ぎ聚雨は去った。春の刻を迎えてわれらの地には花があらわれた。われらは白き薔薇に着手し、それはあらゆる不完全で、病んだ物質をまことの銀へと変えた。
故に汝、物質の全体が白化するを確と見届けたなら、その白さの深奥には赤が秘されている。故に汝はすべての白を抽出し、全体が完全に赤化するまで煎じ詰めるべきなのである。




赤き薔薇。
余は赤化のエリクサ、あらゆる不完全の物質をいとも至純なる黄金へと変成し、そは鉱物の金にも勝る。その一欠片が投じられれば、千もの《活ける水銀》は一目瞭然に赤く凝結し、そして比類なくも純なる金へと変成される。