第3回 馬馬虎虎について

短編集『馬馬虎虎』は「マーマーフーフー」と読み、ジャケットでは「馬」の字も「虎」の字も簡略体の中国漢字のような書体が使われているため、検索などでは必ずしも「馬馬虎虎」ではヒットしない。Amazonでは「mamafufu」となっている。ウェブ上の記事では『馬々虎々』のようになっている場合もある。古書検索をする際などに留意したい。
ガロ連載の初期作品であり旧・青林堂の出版物であるため入手も再版も困難な状況にあると目される。高価に取引されているとはいえ、ある程度の出費で現物が入手できるうちに必要な場合は惜しまず入手しておくことが望ましいと思われる。いまはなき「九龍城」のような、後の逆柱作品のベースとなる「濃厚なアジア的風景」に「中国語的な看板」という典型がこの作品から背景をなし、『山海経』に出てくるような妖怪的動物が跋扈しはじめる。
むせかえるような市場のイメージは最近の作品にも顕著ではあるが、この『馬馬虎虎』所収の「道楽者の海」に結実して漫画というワクを超えるような暴挙にまで至ることは今後ないだろう。あるいは「肉称八輩祖宗」に登場する「木賃宿・珠實舘」のような、一体に如何なるアーキテクチャから霊感を得たものか判然としない、不思議で不穏で、なおかつ理想的な心地よさをもつ空間には、もはやとっくに漫画の領域を超えたものがある。
前掲『象魚』では横たわり悪臭を放つことの多かった巨魚はみごとに復活を果たしたようで、ここには水を得た魚のように自らの才能を飲み干し飽くことのない作家が嬉々として描き尽くした希有な結実がみられる。また全作品を通じて「変幻ネコ」が登場し初めている。

アメリ 逆柱作品の世界には、どことも知れぬところからやってきては住人たちに不安を与える「アメリカ」という存在がある。体長は(おそらく)15〜30cmくらいで、全身が白く頭が丸い。よちよち歩きができる程度の手があるが胴体は尻切れトンボに終わっている。目鼻の無いテルテル坊主のようなもので、群をなして魚の死骸などに蔓延るらしい。これが初めて登場したとおぼしい短編「アメリカ」は、湯屋のような建物が舞台になっている。層状に重なり合ういくつもの部屋には水路のように湯が走りやがて浴場に到るらしい。逆柱アーキテクチャにはさして珍しくもない空間ではあるが、ここでは珍しく「暴風雨が吹き付けて」いて、「散髪をする二人」以外には誰も存在している気配がない。こうしたところに上流から、中華金魚の死体が次々に腹を膨らませて流れ下ってくるが、そこに駆除すべき「アメリカ」が夥しく潜んでいる。「でかくて安く臭く、はらわたと皮ばかりの魚を、力士のような男が踏みつける」イメージは『ネコカッパ』所収「おつかい」でも現れる馴染みのものであるが、全体に漲るグロ味・エロ味はこのあたりのモチーフから漂ってくるようだ。市場のような風景に動物種の解体が多いこと、後半で突然「出前ロボ」が現れることから、内部と外部の弁証法の感覚が表層化して来ているようだ。

□うに 変幻ねこが逍遙をはじめる。「血液銀行」から出て来て後生大事に血液を抱え歩くやせこけた老人と、凶暴なトカゲをペットにつれた逞しいおばさんの対比は、ちょっと「アリス症候群」のもたらす急速な大小感覚の交換に近い。あまり濃厚でない風景は『象魚』に頻出した海辺の町の快活さを示していて、その開放感の中、「変幻ネコ」は女の子に出会ってクタクタにされてしまう。このへんに、女の子と、1人称たる「変幻ネコ」の過渡期的なバランス関係があって、これは他の逆柱作品では皆無のモチーフだが、近年の『はたらくカッパ』の後半、アンヌがカッパを助けてからホテルで花火を見たりする感覚には近いかもしれない。物質的感覚がもたらす目眩は、比較的爽やかな開放感に触れたとき、非日常的であやういデート感覚に陥るものらしい。

□ユウレイ 逆柱作品の実存的悪夢を示すテーマに「巨大工場」があることは既に述べたが、どうやらここで働く工員たちは、布団にくるまってぬくぬくと過ごす感覚を重荷のように背負いつつ残業に向かわねばならず、さらに闇々に潜む妖怪たちに取り憑かれる不安に苛まれているようだ。これは後に「アメリカ」や「中華金魚」と繋がって『ネコカッパ』所収「金魚」に結実するので、やはり社会批判的な感覚に立脚したイメージをみて良いかもしれない。

□肉称八輩祖宗 アジア的風景を逍遙する意識が1人称をとらず、或る社会批判的モチーフを与えられている例。風景を移動する主体は怒りに満ちており、体臭あふれる木賃宿に潜んでいる反抗的な社員・部下たちを追跡する社長、あるいは「ボス」となって、逆柱作品は急速にストーリー性を帯びてゆく。これは後に長編『ケキャール社』の凶悪なサラ金業者につながってゆく。

□ケキャール 逆柱作品には「ケキャール」という音声が頻出する。キャッキャッと黄色い鳴き声を発してトラックに満載されたカエルのような生物として「ケキャール族」は登場するが、「ミーラビワ」では「キャール力士」となって「変幻ネコ」と鳥獣戯画のような相撲を展開したりする(この場合はたんにキャール=カエルであろう)。しかし必ずしもこの生物が「ケキャール」なだけではなく、音声的なものが脳内に喚起してくる鋭くもぬめりある触感という抽象概念をあらわすオノマトペ、あるいは呪文のようなものでもある。近年の『はたらくカッパ』では、主人公アンヌの父親がケキャール人(毛蛙人)として新解釈を示している。本作「ケキャール」では「変幻ネコ」が暴れまくる翼竜に飲み込まれるストーリーだが、これの発展版が『ネコカッパ』所収「首長翼竜」であり、こちらの方には、翼竜と戦う「バーニングファイターストロングロボ(BFR)」が出動して、理由もなく巨大化した裸女と戦いはじめたりするなど破天荒なサービス精神も強い。本作「ケキャール」では、翼竜の中に住んでいる股引男は『ケキャール社』のヨド1号・2号のオーナーと同一キャラである。

□ミーラビワ 錦鯉およぐ水田が、そのまま舞台と繋がっており、いくつもの提灯が闇に煌々と照るなかミーラビワ(盲目の琵琶法師)がひとり唄う。どうやらここに「変幻ネコ」はよく現れるようで、ミーラビワには大分きらわれているようだ。「ミーラビワ」というキャラはこの後まったく登場しない。

□道楽者の海 正味60頁にわたって逆柱的風景がただただ展開する、目眩のするような小品。ひとの体臭つよい九龍城のごとき風景を、スクーターに乗ったおじさんと「変幻ネコ」がただただ通り過ぎてゆく。後の『赤タイツ男』所収「箱の男」と同一テーマ。スクーターで旅をする開放感については、『はたらくカッパ』にて主人公アンヌが具体的に語っている。

土竜刺器 あとがき的な作品。絵柄が普段とちょっとちがうのが面白い。


・SRC/MaMaFuFu