第5回 ネコカッパについて

境界線上の出版物をてがける勇気ある出版社として河出書房は貴重な存在である。かつて澁澤龍彦の著作を読むにあたって中高生のころからだいぶ文庫で世話になってきたし、安島真一氏が頑張ったおかげでエルンストのコラージュ・ロマンもすべて文庫化したりという時期も、この出版社の企画力や柔軟さには感嘆・感謝したものだ(あちこち手を出しすぎて「訳者」に引き摺られていた弱さは認めねばならないだろうが)。しかしまた最近になって既存の澁澤ネタを再編集してみたり『血と薔薇』まで文庫にしたり、あるいはこの「九龍COMICS」というレーベルもまた、やはり商業主義に足をとられていて、とても芸術史を示し普及させるほどの価値観造出までは到っていない(澁澤龍彦の一過性のファンを造出しているのもこの辺に原因があるだろう)漫画界における「九龍COMICS」というレーベルの位置づけも曖昧で、少年誌連載の一般ウケするものからはみ出したものを無批判に拾い集めている気配がある。こういうところから逆柱作品が出るというのはちょっと驚きではあるが、どうもやはり青林堂青林工藝舎から離れたところではまだまだ、こうした価値観を存分に売り出すという理解や下地が不足しているようだ。素人が口出しする領分ではないだろうけど、この本の刊行にあたって河出サイドと青林工藝舎サイドでなんらかの連絡はあったのだろうか、なぜこんな短編集を出さねばならなかったのだろう?

□おつかい 「血痰処理」にスタートして「アメリカ」「うに」「ユウレイ」に描かれた工場イメージの総集短編。逆柱世界の奥行きある工場機械群と、その下界に広がるらしき市場は、今回、馴染みのイメージやキャラクターが頻出。よく見ると『ケキャール社』のイカレ男の過去話に出て来た「トラックの爆音で内容の判らない漫才師」とか「アメリカ駆除をする目=手の妖怪」とか「魚解体業者たち」とか「機械に繋がれた馬」とかが再登場。「はらわたと皮ばかりの安い巨魚」が再び執拗に描かれている。

□金魚 「ユウレイ」が下敷になっているが、ビルの谷間から労働者を引き込んで膨らむのは「中華金魚」であり、そこから消化されたとおぼしき工員たちが「アメリカ」となって腹から出てくる。工場の奥深くにあるらしき自販機の並ぶ休憩室には、使われなくなって久しい「唄うロボット」が登場する。これは硬貨を投入すると作業前体操を演じ始めるもののようだが、『馬馬虎虎』では錆を垂らしながら韓国語で唄をうたう美人歌手のロボットであって、旧作のほうが数段も妖気を放つ存在であった。

□窮奇温泉 冒頭で奇妙な生物どうしのたたかいに巻き込まれたネコカッパが、深い地底にでも続くような商店街を歩き、温泉へと到る過程。旧作のモチーフはあまり使われていないようだが、迷路のような場面の連続のところどころに深い水があって巨魚が存在するなど、夢の論理の濃度が高い。

□岩助劇場 硬さと変幻自在を誇る仙人のような新キャラ「岩介」の賞賛が前半、後半はトイレに行ったネコカッパが「眼鏡のバレリーナ・ヨヨネさん」のステージを観るまでが描かれる。地方の温泉宿界隈にあるような妖しさ満載の旅情にインスパイアされそうなイメージ群。

TIKI ROD クルマのすべすべした感覚と動物種の内蔵のやわらかさのエロティシズムと暴力がハワイのチキ工芸のプリミティフのさなかに展開する。

□首長翼龍 『馬馬虎虎』所収「ケキャール」をもとにして新たなキャラの格闘なども加えた短編。

□クソボス 『馬馬虎虎』所収「肉称八輩祖宗」をもとに荒ぶる権力者の悲惨を描いた短編。総じて本書『ネコカッパ』は旧・青林堂期の改作であり、普及版のようなものとみるべきかもしれない(おそらくこれを手に取ったのは元からの逆柱ファンばかりであったろうが)が、シェアを広げようとした反面でもともとの妖気はかなり薄らいでいる。しかし前述の「ヨヨネさん」や、ここで登場する「巨大化して戦う裸女」など、リミッターの外れたエロ味は次作『赤タイツ男』で開眼される。その萌芽をみる作品集としては、歴代の逆柱漫画短編集のなかでも貴重な1冊かもしれない。

□クルマってえやつを見に行くのさ ネコカッパ族の少年たちを巡る文化や食事などが示された地誌。