第3回 錬金術の叙階定式書 第1章(1)

『英国の化学の劇場』に収められた版に置かれている図像。
錬金術のイニシエーション。選ばれた者が天授の秘密を守ると誓っている。
門の向こうに別の世界があるという意匠は『太陽の光彩』の第1図ともよくにている。

アシュモール『英国の化学の劇場』版では、章のはじまりの文字だけアートしていて、まあ深い意味はないんだろうけれども何だかかわいらしいものもあるので再現してみることにした。第1章はMAIStryefull merveylous and Archimastrye...と始まります。中英語、読みづらっ、sがfにみえるし。ねばりつくようなスペルでのたくっている。荘厳な詩を編むことばだから、ちゃんとした発音するときっと美しいんだろうけれども。

いとも驚くべき自然変成力たる大錬金法は、聖なる錬金術の染色素(ティンクトゥラ)であり、聖なる哲学の奇跡的科学であり、全能の神の慈悲によりて人の世に下された唯一の賜物である――それは、人の身が手の働きによってのみ及ぶものでは決してなく、ただ天啓と導師の教えによってのみ到達しうるところである。それは、如何なる者が望もうとも決して金で売られたり買われたりもされず、ただ有徳の士にのみ神の慈悲をつうじて容認され、長い労苦と時の経過の中で完成されてきた。それは人間界を救済するためにもたらされ、虚栄、期待、恐れにに終止符を打ち、野心、暴力、非道を駆逐する。そして、ひとが災厄に拉がれぬよう苦境から救うものである。その知識を完成した誰しもが窮境を脱し、中庸の路に充足する。この術を呪われたものとして貶む者もあるが、それは異教徒――神は如何なるよきことも彼らに授与することを望まない。その頑迷かつ剛愎なる不信心が、あらゆる善の因の獲得を不能にしているからである――もまたこの知識を獲得していることがあるとされるからである。更に我らの術は、他ならぬ金と銀を生み出すと断言してもよい。もちろん貨幣に鋳造することもでき、杯や指輪にも変わるが、賢者たちはこれを、地上における万物のなかでもっとも小さな価値として述べ、是認している。この学智を目指す者のなかには、この側面から判じて術を聖なるものとは見なせないと主張する者もいる。この主張に我々は、我らが真実として知るところを答えよう。この術の科学は善く高潔な人生によって相応しい者として自らを証明しえない者、その知識と徳目と真実の愛によってこの高雅なる賜物に相応しいと己を示しえない者に完全に明かされることは決して無く、永遠に封じられているのである。
また、学徒を導くべく神より遣わされた人物がなければ、この術に到達することはかなわない。斯道はあまりに壮麗かつ驚嘆すべきものであり、口頭によらねば完全には伝授されないのである。さらに相伝さる者は偉大なる神聖の誓約を立てねばならぬ。導師たるものは軽薄な栄誉を熱望することはなく、我らのごとく高位と名声を拒み、秘奥を伝えるに己が実子を選ぶほど僣越であることはない。我らの自然変成力は、血統の近親や類縁というだけで相伝しいうるものではないのである。血縁というものは、たしかに我らの性向への類似を決定するが、これは秘奥へと参与する権利を附与するものではない。ゆえに汝は、いかなる人物がこの術に参入しうるものか、その生活から性格、精神の適正までを慎重に吟味せねばならず、かくなるうえで我らの変成力が卑俗の輩の知るところとなることのなきよう、聖なる誓約にて縛られねばならぬ。ただ、汝が年老いて弱り始めたときにだけ、これを唯ひとりの者に明かすことができるが、その者もひろく同士に認められた有徳の者でなければならない。この変成力は秘められた科学として永久に保たれねばならないが、我々がかように配慮を強いられる道理は明白である。もし邪な者がこの術の実践を学べば、ことはキリスト教世界にとって重大な危難を孕むことであろう。かような人間はあらゆる節制の限度を踏み越え、キリスト教世界を統治する正統な世継を代々の王位から駆逐することになる。邪悪への罰は、価値なき人物に我らの術を導いた者にも及ぶ。かようなる傲慢なる自惚の暴挙を避けるため、術の知識もつ者はこの秘儀を、突出した有徳の者のみが相伝しうる力であると尊重し、これの伝承にあたっては厳正な判断をせねばならない。

……長いので数回に分けてお送りします。以上がだいたい第1章の1/3くらい。