第4回

 これについては以下のことが汝の理解を促すであろう。術者は煎出に臨んで類似物質を用い、これらを精妙に導いてすべてが水へと変わるようにせねばならず、さもなければ術を始めることはかなわない。探求者たちが無駄に疲弊することのなきよう、貴重な秘奥を明かそう。よく密閉された容器中の硫黄を燃焼からまもる活ける水銀が、只にひとつのものである限りは、自然変成力というものは、活ける水銀と硫黄の煎出に他ならない。かくして、活ける水銀は消滅することなく、硫黄もまた燃え尽きることはない。つまり、活ける水銀はわれらの清い水なのであり、たとえば卑俗の水のなかになにものが溶解していようとも、強い火の熱がこの水を蒸発させなければ、ここに溶けているものは決して焼尽されることはない。この際にもし水が渇ききってしまえば容器中のものは燃えてしまうだろう。容器をかたく閉じるべしと哲学者らが、命じてきたのはこのためであるが、浄められたる我らの水が吹き出したりせずに、それが容器中のものを燃焼からまもり、なおかつそれらとともに内包された水がそれらを燃やそうとする火を妨げ、かくしてそれらのものは全うされて造出されるのである。さらに炎が強いほどに、より多くが深奥の部位へと隠され、火の熱に侵されることがなくなるのである。水はその胎にそれらを受容し、それらを炎から護るのである。だが、斯術に従ずるあらゆる学徒には、まず穏やかな火をもちいて水と火のあいだに耐性をつくりあげることを勧める。そうすれば汝は、いかなる上昇も生じることなく水を固定させることができるであろうし、かくして汝は火の程度に心をくだくこともなく、霊と肉がひとつとなるまで、耐性によって火を統御しやすくなり、組織的な物質を統合し、統合的なものを組織化しえるであろう。だからこそ水は、白と赤を現出さすものなのである。死も蘇生もつかさどるのはまさに水である。そして燃焼させるのも熱くするのもまた、水である。また水こそが、溶解させ凝結させる。水は腐敗をもたらし、しかるのちに新しき相反するものを生じさせる。ゆえにわが息子よ、私は汝に秘奥を授けよう、あらゆる汝の艱難辛苦は、水の煎出にむけよ。そこから結実を望もうとも倦むことなかれ、他の無益な物質に眼を向けることなかれ、ただ水のみである。この水を少しずつ煮出して腐食させれば、完全な色彩がそこにあらわれる。そして初めは、その花や葉を燃やさぬよう充分注意せよ。汝の作業をはやく進行させようと焦ってはいけない、そして忘れずに、内部のものが飛び去ることがないよう、扉をかたく閉じよ。かくして神は、汝がその望むところに到達するを許し給う。自然は段階を経てその営みを執行するのだから、汝もまたそのように為さねばならない。さよう、むしろ汝の心を、自然に従わせよ。そして自然にしたがって、地の胎内に再生する肉体を観ずるがよい。幻想などでなく、まことの観想から感得せよ。惨きさまもまた愉悦なりても、煎出にあらわれる色彩をそのように観じよ。

そこから万物が生じるところの、風の凝固。煙霧の凝集。水と地がつくる混沌、粘着性物質、メルクリウス。風の嫡子としての硫黄について、これはアタランテ象徴1の語るところのもうちょっと「化学的」な記述のしかたか。いやいやどうしてメディテーションを要するくだり、「ボヨヨ〜ン」と回想シーンにでも入るような無意識うんぬんの示唆でもあるだろう。なんとも内密で気分のよい「色彩」の変転がみえるのだろうなあ。