錬金術が化学のあやまった前形態だったり、創造にせまる不埒な欲望だったりするのは、おそらく顕微鏡にむかう視線が「上から下へ」という神の視線にあらわれているんじゃないでしょうか。ふるくさいテーマで恐縮ですが、これは現代の科学万能主義への批判にもつながりますね。でも正しい錬金術には「下から上を」仰ぎみる敬虔さが充ちています。
《ヲヲ、神ハナゼニ人ヤソノタ被造物ヲツクリ給フタノカ?》
すなわち
《俺タチニドウシロッテンダ!》
涙ぐましいマジメさですが、結局、彼らにとって神(真理・自然)は「信仰」の対象であるいじょうに、「認識」の対象だったわけで・・・一般的な視線からはやっぱり異端ですね。