古書買い

リチャード・フラナガン『グールド魚類画帖』白水社

ひょんなことから博物学的な魚の絵を描くよう命じられた囚人が、急速に分類されてゆく科学観のなかで海洋生物たちの混沌に引きずり込まれていく。オーストラリア、タスマニアの歴史、その開拓期を背景にしなければ可能にならなかったであろう秩序と混沌のゆらめきがあるように感じる。12章の物語がひとつずつ美しい魚の絵で始まり、囚人画家が実在の人物であったということも、どっぷり世界に浸らせてくれる。『魚の本』発見のプロセスから始まる冒頭もかなり好み。ここでは勝手な解釈を書いているけれども、すこぶる高度に文学的で、きっと多義的な読みをされるべき作品だろうと思う。あとがきにはタスマニア図書館サイトでこの魚類画がすべて見られると紹介されている。

堀江敏幸『いつか王子駅で』新潮社

路面電車はしる下町情緒にどっぷり。作者の眼に映るものも人々との出会いも、読者はまったく同じ時間を生きてしまう・・・そういう魔術的な文体で織り上げられている。いわゆる「下町情緒」なんていうとどうも手垢の付きまくったテーマのように思えてしまうが、この小説は王子やら中里やら尾久やらという東京のエア・ポケット的空間を見事に活字化していると思う。北東京・東東京に住んでるひととか住んだことがある人は必読かも。しかし終盤で主人公が家庭教師を引き受けている少女に比重を置いてしまう流れは御時世が御時世だけにちょっと気持ち悪かった。もちろん変な意味ではなく美しい競馬ウマへの想い出とないまぜになった、エネルギーに充ちて今を生きる象徴としての咲ちゃんなんだろうけれども、途中で飲み屋の女将さんと天秤にかけたりするところがどうしても引っかかる。まあ、すべて悟ったような、苦み走ったオジサンが主人公ってよりゃあちょっとこういう未熟なアヤウサがあるほうが情緒がきわだつのかもなあ。

安田弘之『冴木さんってば…』太田出版

小説でロリコン臭をかがされるのはイヤだが、抑圧のとっぱらわれちゃった物質的感覚=フェティズムの炸裂するキャラ弄り『紺野さんと遊ぼう』くらいになるともう笑わずにいられない。こういうのは生半可な(直接表現の)エロ漫画なんかより観念的にずっとエロい。『冴木さんってば…』はもっと内面的なエロスに歯止めがなくなって最早ところどころ訳わかんないくらいの暴走っぷりが気持ちいい。でも『ショムニ』は面白くなさそうなので読んでいない。

森雅之『夜と薔薇』FusionProduct

ちょっとポエティックすぎるしところどころ宗教じみていて、宮沢賢治的な世界を垣間みさせる瞬間はなくはないがマダマダ遠く。この作者のヤサシサもアタタカサも理解できぬではないがこの次元ではぬるま湯レベルではないだろうか。どうも「厳格な宗教家の家庭で子供に与えられる無害な漫画本のひとつ」あるいは「乙女の溜息的ポエム」という感想を拭えない。そんな自虐的気分に浸ることもできるので否定こそしないが、抑圧されて燻っている魂は見ていてあんまり気味の良いものではない。表題作「夜と薔薇」が一番いい。

鶴田謙二『SpiritOfWonder』講談社

マッド・サイエンティストとその美少女娘。こりゃあ「死と乙女」のテーマの亜流みたいな気もするが、そういうムードが好きな人に鶴田謙二はたまらないかもしれない。とはいえイマドキの萌絵なんかじゃないから注意が必要で、ファンタスティックに語られる科学理論には明らかに硬派なノスタルジーがある。どうやら80年代後半からの作者の初期作品集らしいので、それでそのエッセンスが強烈に現れてしまっているのかもしれない。

■展示会目録『葛飾北斎展(1995)』江戸東京博物館

作品だけでなく北斎そのひとの豪放な人物像が大好きで、緒形拳が演じた映画『北斎漫画』もとても良かったが、これは田中裕子のお栄さんと西田敏行の馬琴が勝ちっぽい。・・・それはともかく、例えば杉浦日向子の『百日紅』なんかもタマラナイものがある(これもお栄さんと渓斎英泉くんと歌川国直ばっかりフィーチャしすぎなんだが)。さて北斎の図版は見れば即ち「ああソウそう」とすぐ思い出せるものばかりだがちょっと資料的に図録を手元に置いておきたかった。ところが江戸浮世絵の世界ってなあどうにもマニアックな領域で、何処で探してもウン万円やらウン十万円するばかでっかい超絶の本格ものばっかり、さもなくばエロに特化した今みるとモウこれはグロじゃんかってヤツばかりで、たとえば富嶽百景の連作とか妖怪画とか、そういう自由奔放な北斎が見られる冊子、廉価な普及版ぽいものになかなか出会えなかった。この目録はちょうど戯画的なものから大作までじつに自分ごのみの作品を集めていて印刷も綺麗だし解説の文章もなかなかいいんで、鼻につく浮世絵的エロティシズムを抜きにして北斎の通史を散歩したいひとにはかなりお勧めかもしれない。