疑似科学?に関する覚え書き

錬金術文書の翻訳、なんて、すこぶる非科学的そうなテーマにどっぷり漬かりながら、普段はけっこうエセ科学批判にアンテナを立てていたりもする。疑似科学似非科学について調べてみると、自分の持っている思いこみの傾向が、びしばしとコペルニクス的に展開するエキサイティングなひとときを味わえる。
ただ、けっこう懐疑的精神を持っていることが前提かもしれない。
コンビニで「酸素水」とか見かけると「えぇ? 酸素って水に溶けるの?」とかイタく悩んだりもする。そういう意味じゃ、化粧品や健康食品なんてのオンパレードだ。だから職場のオンナノコたちが「岩盤浴いってきましたぁ」とか「酵素風呂サイコーですぅ」とか言ってると、ちょっとドウなんだろうなそれは、と首を傾げざるを得ない。傾げた首を表に出さずに、非科学的な「世間」に迎合しないと、最近じゃK・Yとか言われそうで怖い。どんどん自分を見失いそうだ。

食品やら化粧品などから新興宗教まで、こういうのはかなり日常に密着したテーマなので(喝破されると困る立場の人も多いだろうから)いろいろ物議を醸す傾向はあるけれども、こういう領域こそ専門の研究者が閉じた空間でやっていては危険なもの、様々な立場から展開されることが望ましいところだ。何が科学的思考なのか、これは文化的な傾向の問題もはらんだテーマだろうから、すぐにコレだアレだと白黒つけられないんだろうが、議論の労力を惜しんではイケナイ修行のような領域なんだと思う。識者にとっても。一般人にとっても。

そういう意味ではWikipedia項目の面目躍如たる項目のひとつであるといっていいかもしれない。いや、どれだけの編集が為されているかは知らないけれども、個人的には、良くまとまっていて面白いと、思える。

疑似科学に関する基本的な情報と見解-Wikipedia
記事の全体を見渡していて、古典的なSF小説も好き(この定義は大賛成!)なので「あんまり目くじら立てんなよぉ」という意識もちらつくけれども、こと「ヒアルロン酸」とか「デトックス」とかいう単語が出てくると、これは錬金術的な物質の想像力をベースにしても、確かに頷ける類ではない(場合がある)なあと我が意を得た気持ちになったりする。普通に「そんなことしちゃだめだって!」と感じる美容法とかが、平気でまかり通ってるのは、かなり危機感を煽られる。逆に「画期的だな」とかおもわされちゃう場合もある。
科学的思考とは? 日常感覚とは? そのなかで錬金術的な思考エンジンの意義は、ナンかありそうな気がしてしまう、いやイマイチはっきりはしない。ただ、客観的事実だけを重んじて、破壊的な魅力を持つ美しい誤解をすべて非科学的とするには忍びない。だから「ソーカル事件」みたいなことにはひどく考えさせられる。想像力の飛躍が科学的思考を先取りするはずだから。

疑似科学批判の最前線
現代的な問題について(特に「水伝」について)ひじょうに興味深い議論が交わされている。こういうものを見ると、現代の理系学科の教授たちはえらく苦労しているんだろうなあと痛感せざるを得なくなる。あまりに非科学的な思考の跋扈に、身を震わせる思い。これからの日本人は、たいへんだ。

いましばらく、タモリ倶楽部的な態度で錬金術にあたらないとなあ。
一応。こういう記事をエントリィすることで、当サイトの科学的な立場の表明をさせて頂きたい、ということで御退屈様。