第8回 錬金術の叙階定式書 第2章(2)

更に別の例を挙げて、我が意図するところを明らかにしよう。あたかもレイモンド・ルルや修道士ベーコンのごとく、己がこの術に深く熟達していると思い込んだ男がおり、自らを比類なき者と称するほど高慢であった彼は、ロンドンからほど遠くない小さな街の司祭であり、説法がなかなかに巧みであると巷には評判であった。この男は、我々の術の秘密を発見したと心底思っていて、その名声を高めようと、生活者や旅人たちの便宜を図り、テムズ河に橋を架けようと計画したのであった。この偉大で巨大な建造物を眼にする者はひとりとして賛嘆せぬはずはないのに、しかしこの計画に一肌脱ぐ者は誰もいなかった。それは、燃えるような黄金に装飾され、かつてない尖塔を備えたものとなる筈であった。男は、これより現実となろうとしている前途をあつく語った。その橋は永久に壊れることなく、闇夜にも遠方から眺めうるもので、決して衰えぬ偉容を誇るのであった。男は、さらにこの大事業を運営する最善の方法に思いを馳せた。まず彼は、充分な数の燃える松明を設置するということを思いついたが、この慈善事業を管理する者が男の死後にこれを軽んじ、それに割り当てられた費用を別のことに費してしまうのではないかと恐れた。そして男は、夜ですら橋が遠方にも全景を示し、あらゆる方角に光彩を放つよう、荘厳な輝きをもつ宝石や紅玉をつかおうと結論したのである。しかし、かくして男は新たな懸念に至った。そのような紅玉が一体どこで手に入るのか、そして世界のあらゆる国々を旅してでも、これら宝石の充分な量を獲得する賢く頼りになる人物がいないものか。こうした妄想で、男はかなりの不安に陥り、その姿を影のように痩せ衰えさせたほどである。もちろんこうした間にも、男は自分が我らの術の秘密を体得したものと固く信じていた。しかしその年の終わりには男の術と、その物質は希望とともに消え去った。彼がガラスの容器を開けてみると、そこにあるものは金でも銀でもなかったのである。かくして男は激情に駆られ、心痛のあまり自身を呪った。彼は財産の全てを使い果たし、残りの人生を貧困の内に過ごした。彼についてこれ以上記すことがあろうか、この事例はその問題点を雄弁に物語っている。

 
そりゃ確かに大事業に違いない。写真は英国政府観光局から。右は1616年のロンドン橋。