第9回 錬金術の叙階定式書 第2章(3)

博学の者、そして学舎に通う学徒らは、こうした愚かな人物の悲劇の結末を耳にして、注意を喚起すべきである。かようなことに常なる配慮を欠けば、自身にもまた同様のことが降りかかると肝に銘じるのである。学徒の多くは、それが誤りであっても、書物に大胆な断言を見つけてしまうとあまりに軽々しく結論を受け容れがちである。こうした懐疑なき容易なる軽信は、貧困と心痛を引き起こす原因となる。そうした煽りに唆された期待は虚しい歓喜であり、紛れもない愚者の楽園である。だが我らの術の真の息子らは、その希望をただ神にのみ留める。神とともにあらねば、あらゆるものは妄想であり失敗の因となることを知っているからである。そして、あらゆる知識の起源を知らぬ者は、その探索を成功へと導くことが出来ないことを知っている。嗚呼、神なしには何者も悟りには至れず、術の開陳が人の耳に語られようとも、信仰なくばそれは虚しく通り過ぎるだけであろう! 嗚呼、神よ。あらゆる神聖なる成就への尽力は、神の御心によりて来る! 始めから終わりまで、神こそがあらゆる善事の源である。さて私は、愚かな探求者の空疎な望みが、喜びともなるべきところを引き起こしうることを汝に語った。聞くがよい、この術が禍根となって多くの者の期待をゆゆしき失望へと変えた不幸についても記そう。
不幸の最初の原因は、多くの者がこの術を探求しながらも真理に到達しうる者はほとんどおらず、また、学び始める以前より教え導かれなければ真理に到達しえないことを、心底痛感するところにある。他者の導きによって真理を悟る者、それについてはっきりと思い知らされるのである。いとも深甚なる万物の秘奥についての伝授を望む者は、自然界に存する相違という難解な影をよく学ばねばならない。それについて述べるに、どんな言葉を綴ろうとも、誤謬から学徒を守りうるほどに正確なものにはなりえないのである。今はもう生を終えた多くの者たちは、ついに我らが石の探索を成し遂げるまでに、あまねく道に迷ってきた。かなり初期の段階から、作業の最終段階まで、すべては誤りやすく、経験者からの導きによって啓発されねばならず、適した正しい熱気と冷気についても教練されなければならない。大胆で、自信過剰な探求者ほどこのことが解っていない。我らの術は、完遂に焦りすぎる者からその作業を徒爾に終えるが、成功に至る者は慎重に注意深く取りかかる。最も嘆かわしい状況は、いったん間違いを犯せば、如何なる作業過程の段階にあろうとも、ことのはじめから全てをすっかり、やり直さねばならないことである。それゆえ、この探求を断念する者は誰しも、心痛に遭遇することを予期せねばならないのである。学徒は、新しい発見にあわせて針路を変更せねばならないこともある。その実験は失敗に転ずることもあり、心中は疑念と混乱の状態に陥ることもある。かくして学徒は、最終的に望む終局に至るまで、矛盾する結果に苛つかされ続けることであろう。錬金術師の悲嘆と不幸について更にもう少し語ろう、この術の実際を獲得しようという汝の欲求を、少なからず和らげることにもなろう。まず、よく賢者らの言にあるように、我らの術の完全な案内者を数多の詐欺師たちの中から探し出すのはたいへん困難なことである。そして、真実これに精通している達人を見つけ出したとしても、汝がこれから経験するであろう避けえぬ憂悶がすっかり払拭されたわけではないのである。

アシュモール『英国の化学の劇場』版では、行間に上のような祈りの像が描かれている。向こう側、彼方を向いた「オランテ」がなかなか深い表現になっているように思う。今回の訳では、神のことを示す2人称Theeに悩んで(汝とか御身というのも、目上に使うにはためらわれるし)、けっきょく「あなた」とかを使わない文面にしてしまったが、ほんとうはかなり呼び掛けまくっている。イラストでもカルトゥーシュ吹き出し)が出まくってる。錬金術師たちの、つらい話が続くので、かなり気合いが入っている。
さて、「オランテ」というのは両手をパーのかたちで開いて神の方に向ける祈りの姿勢。手のひらは空の杯で、そこに神の恵みを注いでくれ、ということらしい。オランテ、というのはラテン語でそのまま「祈り」の意。「口」が「ora」なので言語学的には意味深な言葉だ。オランテ像は旧約時代から存在していた「祈る人物」の身振りではあるけれど、マリア像とか、教会堂のエントランス・ドームとか、アプス(メインのドーム)とかに多いと思う。

ギリシア、デルフィ近郊にあるオシオス・ルカス修道院の入り口モザイク。福者ルカス自身のオランテ、荘厳な感じがひじょうにカッコよくいかめしい。正教のイコンやモザイクは、ギリシアだと厳めしい(&辛い殉教)ムードが多い。歴史が物語る。
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正教の美術にはもっと享楽的?でかわいらしい感じのものも多いが、これは有名なサンタポリナーレ・クラッセラヴェンナの教会堂。動物がたくさんいてミドリが幸せ。どちらで「オランテ」したほうが良いんだろうか。

ビザンティン建築についてはこちらが良くまとまっている。