第11回 錬金術の叙階定式書 第2章(5)

第2章は今回で最終回です。

汝が身を守らねばならぬ第三の敵は欺瞞である。これは前述したふたつよりも恐らくはずっと危険なものである。汝が炉を燃焼させるために雇わねばならぬ傭僕は、最も信用ならない人物である場合がある。不注意な者もいれば、炎に傾注せねばならぬ折に居眠りを始める者もいる。能う限りの害悪を汝にもたらす無法者もいる。さらに愚か者であったり、自惚れの強い自信過剰は言いつけに従わない。他人の所有物に手を伸ばす者もあれば、酒飲みであったり、怠慢な者、注意散漫な者もいる。大きな損失を免れようとするのであれば、こうした者たちすべてに注意しいなければならない。忠実な傭僕はおしなべて無知なものである。機転の利く者はたいがい誤りを犯す。そして小賢しい者と愚かな者のどちらが邪であるのかは、俄には判別し難い。実験のすべてがつつがなく行われていた折、傭僕が材料と器具を盗んで逃げてしまい、ただ空の工房に残されたという経験が私にもある。そして出費や時間、さらにもう一度はじめから作業を行う算段をしたとき、私は打ちのめされ、錬金術というものには二度と関わるまいと、ほとんど決心しかけた。たとえ十人の信用しうる人物が事実の証明のために残っていたとしても、私が如何にすっかり手にしたすべてを剥ぎ取られたかは容易には信じられまい。じつにその一撃は強烈であり、ひとの身が悪魔に唆されてこれに共同することなしに可能なものではとてもありえない。私はまた生命のエリクサを造り、これもさる商人の妻に奪われ、多くの貴重な調合物から第五元素を得たが、こうした邪な連中にあらゆるものを奪われ、私は、この世の享楽の甘美な器には、寛大な痛恨が注ぎ込まれるということを知るようになった。この作業の難局について、まだ言い尽くしていないことをいま少し語ることとしよう。私が考えている惨禍は信心深き善人に起こるものであり、そして私こそがそれを説明しうる唯一の人物である。
信仰深き神の僕トマス・ダルトンは、英国人の中でも比類なくかなりの量の赤き医薬を持っていた。あるときトマス・ハーバートというエドワード王室下のさる騎士が、このダルトングロスターシアの修道院から実力行使で連行し王の御前に引き出し、そこで彼はデルヴィスに引き合わされた。秘書ウィリアム・デルヴィスはダルトンが書簡を送った人物であるが、これがダルトンの術の才覚を王に話してしまったのであった。デルヴィスは、いつもエドワード王の御前に仕えている忠実な僕であり、彼はダルトンがたった一時間で王国の貨幣と完全に一致する一千英貨ポンドの金を造ったと断言し、聖書の最も聖なる宣誓によってこの証言を強調した。このときダルトンはデルヴィスを見据え、「嗚呼、デルヴィス、汝はすでに誓いを破った! 汝は余に誓った起請を卑劣にも打ち破り、主を裏切ったユダのごとく余を裏切った!」と言った。デルヴィスはこれに応え、「はい、その通りです。貴方の秘密を裏切らぬことを、いちどは貴方に誓いました。しかし私は自分が偽誓の罪にあるとは思いません。王と国家への奉仕が、私を誓約から解放してくれるからです。」するとダルトンは沈着にこれに答えた。「その口実では、汝の大罪は許されぬ。それだけで逃れられるならば、面前にて偽証した汝を王御自身が信じ得ようか。更に、」彼は王に向かって続けた「永きに渡って私がこの医薬を手にしていたことは認めましょう。しかしついにそれは私にとって悲嘆と苦悶の源にしかならなかったのです。それであの修道院に隠棲した後、私はそれを、日々に海の満ち干が洗う入江へと投げ込んだのです。かくして、聖墳墓を奪還する二万の騎士を完全装備させるに充分な財貨は失われました。神への帰依のもとに私はこの医薬を長年保持してきましたが、それはこの遠征にとりかかる王を援助するという一貫した目的があったからでした。しかし、今ではこの聖務は忘れられ、医薬もまた失われたのです。」王はかように驚くべき宝物を放棄したことを愚かであったと云い、新たに医薬を調合するようダルトンに命じた。「いいえ」とダルトンは応え、「それは決してできないのです」と言った。「なぜだ」王は問う、「如何にして汝はそれを手に入れたのだ」と。ダルトンは、リッチフィールドの該博なカノンから受け取ったと応えた。彼は長年勤勉にその作業に従事し、ついにその師が、持っていた医薬のすべてを彼に授けたということであった。これを聞いて王はダルトンに四マルクを与え、望む何処にも去ってよいとして自由を与えた。別れに際して王は、これまでダルトンとの縁を得られなかったことに遺憾を述べるのであった。ところが、王の従者たちの中にはしばしば卑劣な暴君がいるもので、騎士ハーバートはダルトンを捕らえて王の与えた財貨を奪い、ステップニーに拉致して長く留置したのである。その後、密かにグロスターシアの城に運ばれ地下牢に投獄され、四年の間を囚人とともに過ごし、その間ダルトンはハーバートの思い至るところあらゆる方法で拷問された。とうとう処刑されようというときダルトンは、牧師に向かってこういった。「嗚呼、神聖なる主キリストよ、私は長く貴方から引き離されていました。貴方は私にこの知識を与え、そして私は傲慢な自尊心なしに使いました。私はこの叡智を遺すに適する人物を見出すことが出来ませんでした。それゆえ、最愛なる主よ、私は貴方の賜物を、貴方の手に返します。」彼は敬虔な祈りを述べると処刑人に微笑んでこういった。「さて、汝のすべきことをしなさい。」このときハーバートは、目に涙を溜めながらこれらの言葉を聞いていた。欺きも投獄も死もこの犠牲者を屈服させることなく、尊き秘密を引き出すことがなかったからである。そして彼は下僕らに命じて、その剛毅が屈服されることのないままに老人の縛めを解かせた。ダルトンは起き上がって悲しい眼でハーバートを見ると顔貌に失望を浮かべ、重い心とともに死んでいった。彼はこれ以上生きながらえる年月を望まなかったからである。この危害は不敬なる輩の欲と、残虐さを通じて彼に及んだのであった。この後ハーバートは長からずして死に、デルヴィスはテュークスベリーでその人生を終えた。こうしたことは、この術の知識を熱望する者たちの受難であり、それは堪え忍ばねばならぬ命運として我らの前に横たわっている。しかし、我々は邪悪な輩の欲望がいかに彼ら自身に仇なすかもまた知っている。もしハーバートが、残虐と不遜、暴力のかわりに、ダルトンを親切に丁寧に扱っていたら、それは王のみならず国家全体から、より多くの利益が報いられたことであったろう。この王国の隅々は罪業に支配されている。だから我々は、友愛が常のことでないからといって、それを不思議に思う必要はないのである。さもなくば、騎士、司祭や市民たちの施しは、人々を物価や租税から解放して救済するはずなのである。ゆえに我々は品行の悪い暴力に叡智の獲得は許されぬことを学ぶ。徳と悪はそれぞれに反対であり、片方に身を委ねる者は他方から報われることはない。もし邪悪な人物がこの術の知識を全て手に入れれば、その際限なき暴慢は耐えられぬほど大きくなり、そしてその野心はあらゆる範囲を超えるであろう。これを手段に彼らは以前より悪い人物となる。さて、我らの術の喜悦と苦痛について述べてきたこの章は終わりである。次なる章では我らの石の構成要素を明らかにしよう。

ダルトンさんが秘法を学んだという或る「カノン」ですが、「司教座聖堂参事会員」というものらしい。いい日本語が思いつかないけど、そのままじゃ長々しいので「カノン」でいいかと。ようは、教会の建立や運営に莫大な出資をしたりして、かなりの発言力ある立場もあるという人々かと。檀家? ダンカってことばもなんだかリズミカルだ。

それから、王様がくれた「4マルク」は、マルクっていうとドイツ通貨みたいだけど、古いヨーロッパの重量単位のようです。「金・銀の重量単位。約 8 オンス」とありますが、金と銀にしか使わなかった単位なのでしょうか。